古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

道目天神社


        
             
・所在地 埼玉県加須市道目548
             
・ご祭神 菅原道真公
             
・社 格 旧道目村鎮守(上耕地)
             
・例祭等 春の大祭 415日 天王様 7月1日 秋の大祭 925
 道目鷲神社から北西方向に走る道路を350m程進んだ十字路を左折する。
道幅が狭く、舗装されていない道を進むと、その突当たり地に道目天神社が鎮座している。
 広い境内。社の東側には「道目上集会所」が並びにあり、そこの駐車スペースをお借りしてから参拝を行う。
        
                  道目天神社正面
       
                                      拝 殿
 天神社  大利根町道目五四八(道目字上)
 この地には、かつて薬師堂があり、租税免除の地であったので堂免と呼ばれ、後に当て字して道目とする、古くに開けた所である。
 当社の創建について、文化一一年甲戌年『天満宮々殿再建奉加帳』に「大方御存知の如く天満宮は菅相丞を祀りし社也、往古古利根川流れし折、満水して流水迸る事矢の如き時、榎の大木浮流し来りて岸に止まる、浮木照り輝けば針ヶ谷内膳なる者凝視せしに天神の御像なり、よって此所に一宇を建立して以後相伝う、いつしか村人相寄り集う所となり、水難、厄難蒙らず今日まで安穏に暮し得たるは天神の利益也として村の鎮守として尊信す云々」とある。
 社記には「当村針ヶ谷長十郎先祖針ヶ谷新八ナル者平素漁業ヲ好ミ古利根川満水ノ砌右川表へ網スルニ五六寸の古木係リ何心ナク波底ニ投棄スルニ再ヒ右古木網ニ係リ是ヲ熟視スルニ天神ノ神像ナリ因テ元亀元年八月ニ十五日該処ニ鎮座シ当村上耕地ノ人民尊崇セルカ故二安永五申年中社殿ヲ再建セリ」と記す。
 一間社流造りの本殿は安永五年一一月二八日の再建棟札、文化一二年修復棟札を有する。
*平成の大合併の為、現在の住所は違うが、敢えて文面は変えずに記載している。
                                  「埼玉の神社」より引用

        
                    本 殿
 
   拝殿手前で参道左側に祀られている       境内には富士講記念碑もある。
       境内社・八坂神社
 氏子区域は道目地域の中の「上耕地」に該当し、三十数戸であり、現在はその9割が兼業農家である。
 境内社・八坂神社は通称「天王様」と呼ばれる。天王様は悪疫除けの神様と呼ばれ、毎年71日に子供・大人の神輿を出す。嘗ては7日にお仮り屋へ出したが、現在はこの日に村を回る。当日の早朝神輿へ祭り込みが行われ、祭りの当番は、村の境四カ所に二本の篠竹を立て八丁注連を張って、辻固めを行う。
 子供神輿は小学生が担ぐ。但し、現在は子供が少なくなったので、リヤカーに載せて回る。古くは庭先で練ったが、今はお祓いを玄関で行い賽銭を受ける。終了後、社に七日間神輿を飾り、その参詣がある。
 大人の神輿は、辻参りと称して道路を回る。戦前では地主の家などで酒の振る舞いがあったという。
        
              本殿奥に祀られている石碑・石祠等
           左から
二十三夜塔・天満宮・稲荷大明神・雷電宮
 境内には、二十三夜塔がある。現在は行われていないが、古くは二十三夜待があった。これは年寄りの婦人が宿を決めて集まる日待で、二十三夜の月が出るまで皆で話し会い月を拝んだという。
        
              手入れも行き届いている広大な境内



参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」等






 

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