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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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鹿島神社

 下手計地区に鎮座する鹿島神社は中瀬神社の南西方向にあり、下手計の鎮守の社である。当社の創建については。二つの経緯が考えられる。まず、第一は、当地に隣接する中瀬の地は、利根川に臨み、かって鎌倉古道である北越街道の通路に当たる渡船場があり、また利根川の舟運にかかわる河岸場が置かれていたことから、古くから要衝であったことがわかる。このような背景から、利根川の舟運にかかわる村人が、日ごろから航海安全の神として信仰する常陸国一ノ宮の鹿島神宮の神を当地に分霊したとする説である。
 第二は、かって隣村の大塚島に鎮座する鹿島大神社の社領であったと伝える下手計・沖・戸森・内ヶ島・田中(伊勢方の小字)などの村々などには「鹿島社」が祀られている。このことから、当社は往時、この鹿島大神社から分霊を受けたとする説である。
 いずれにせよ、鎌倉公方足利基氏御教書に、貞治二年(1363年)に安保信濃入道所領の跡、下手計の地を岩松直国に与えるとあるところから、この時期既に上下に分村していたことがわかり、社の創建もこの時代までさかのぼるのであろうか。
                                         「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より
所在地  埼玉県深谷市下手計1143
御祭神  武甕槌尊
社  挌  旧村社
例  祭  11月15日 秋祭り


       
 鹿島神社は中瀬神社から群馬・埼玉県道14号伊勢崎深谷線に戻り南下し、下手計交差点を右折すると約500m位で右側に鹿島神社の社号標石が見えてくる。駐車場は鳥居を潜ると社の広い空間があり、車両の轍の様子から可能とは思ったが、やはりここは思い直して社号標石の近くに車を停めて参拝を行った。 
 
                         鹿島神社の参道の様子
                           鳥居は鹿島鳥居
          
       参道右手側に枯れた御神木の欅があり、歴史を感じさせてくれる威圧感があった。
          
鹿島神社
 創立年代は不明だが、天慶年代(十世紀)平将門追討の際、六孫王源経基の臣、竹幌太郎がこの地に陣し、当社を祀ったと伝えられる。以降武門の守とされ、源平時代に竹幌合戦に神の助けがあったという。享徳年代(十五世紀)には上杉憲清(深谷上杉氏)など七千余騎が当地周辺から手計河原、瀧瀬牧西などに陣をとり、当社に祈願した。祭神は武甕槌尊で本殿は文化七年(1810)に建てられ千鳥破風向拝付であり、拝殿は明治十四年で軒唐破風向拝付でともに入母屋造りである。境内の欅は空洞で底に井戸があり、天然記念物に指定されていたが、現在枯凋した。尾高惇忠の偉業をたたえた頌徳碑が明治四十一年境内に建立された。
                                          昭和六十年三月 深谷上杉顕彰会
                                                       案内板より引用
                      
                             拝   殿 
          拝殿には渋沢栄一が揮毫になる「鹿島神社」の扁額が掲げられている。
                      
                  黒が基調の重厚感のある鹿島神社 本殿

 
       社殿の裏手には三峯講社                  本殿裏にある香取神社
                     
                              神楽殿 
          
                      鹿島神社の右隣にある八坂神社
                  
               八坂神社の奥に手計不動尊。奥に見えるのは納札所           
    
           

藍香尾高翁頌徳碑について
 尾高惇忠を敬慕する有志によって建てられたこの碑の除幕式は、明治四十二年(1909)四月十八日に挙行されました。
 おりから桜花満開の当日、澁澤栄一はじめ穂積陳重、阪谷芳郎、島田埼玉県知事など、建設協賛者である名士多数が臨席されました。その際、尾高惇忠の伝記「藍香翁伝」が参列者一同に配布されたのです。
 碑の高さは役四・五メートル、幅は役一・九メートル、まさに北関東における名碑の一つです。石碑の上部の題字は、澁澤栄一が最も尊敬する最後の将軍、徳川慶喜によるものです。碑文は三島毅、書は日下部東作、碑面に文字を刻む細工は東京の石工・吉川黄雲がそれぞれ当たりました。
 郷土の宝物であるこの名碑を大切にし、藍香翁はじめ先人の遺徳を偲び、共に感激を新たにいたしましょう。
                                                      平成十七年十月
                                                       案内板より引用
 

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