道目鷲神社
『日本歴史地名大系』においても当地域は、南西を古利根川が流れ、川沿いに水除堤があると載せている。実際地図を確認すると南西方向に走る道路は、如何にも古利根川の流路跡をそのまま利用した道のようにも見え、本来の意味は「水の音」に関連した地名であったのではないかと考えられる。
・所在地 埼玉県加須市道目324
・ご祭神 天穂日命 武夷鳥命 大己貴命
・社 格 旧道目村鎮守・旧村社
・例祭等 春祭り 4月15日 秋の例祭 10月15日
北平野稲荷神社が鎮座する埼玉県道84号羽生栗橋線を西行し、600m程先にある道幅の狭い路地を斜め右前方向に進路変更、暫く道なりに進むと進行方向左手に道目鷲神社の社号標柱とその先には石製の鳥居が見えてくる。
道目鷲神社正面 入口から中に入った先に石製の鳥居が建つ。
『日本歴史地名大系』 「道目村」の解説
細間村の南に位置し、南西を古利根川が流れ、川沿いに水除堤がある。古は堂免村と書き、村内薬師堂免除の地であったと伝える(風土記稿)。寛永六年(一六二九)の検地帳(針谷家文書)では「武州喜東郡古河内道免村」、同一八年の検地帳(同文書)には「武州騎西之郡古河川辺内道免村」と記され、田園簿には道目村とみえる。
寛永六年の検地奉行は八木三郎兵衛ほか、同一八年は中江作左衛門らであった。田園簿によると田高二二五石余・畑高二七八石余、幕府領。国立史料館本元禄郷帳では旗本土井領で、幕末まで同領として続いたと考えられる(天保三年「向川辺領村々高書上帳」小林家文書、改革組合取調書など)。
境内の様子
旧大利根地域の社の多くが、河川対策により塚上に鎮座している。
『新編武蔵風土記稿 道目村』
道目村は古は堂免村と書き、村内藥師堂免除の地なりしと、土人の口碑にのこれり、されど正保のものには今の如く道目村と載たり、
古利根川 村の西界を流る、川幅六間許、水除の堤あり、
鷲明神社 村の鎭守にして、寛文元年の勸請なり、千手院持、〇靑龍權現 持同じ、〇天神社 醫王寺持
醫王寺 新義眞言宗、堤村延命寺末、瑠璃山と號す、開山宥道寛文三年三月五日寂す、本尊大日を安ぜり、金毘羅社
藥師堂 坐像にて長六寸、運慶の作、村名の條に載たる土人の口碑によれば、この藥師堂免除の地なりしや、慥なる傳へはなし、 〇千手院 同末、慈雲山と號す、本尊千手觀音を安ぜり、
拝 殿
鷲神社(みょうじんさま) 大利根町道目三二四(道目字中)
当社の鎮まる道目は、この地にある薬師堂がその昔年貢の免除地であったため「堂免」といわれ、これが転訛して現地名になるという。
社記は、当社の創建を、口碑とことわり「足利氏の一族であった小野田氏が、応仁の乱を逃れて当村に居住して以来村の長となり本村を束ねる。同家次郎左衛門の時に屋敷の神として鷲明神を勧請する。その後村も整い初め延徳三年春、村人が懇願して同社を村の鎮守とする。下って寛文元丑年中現在地に社殿を造営する。」と記している。
『風土記稿』に「鷲明神社 村の鎮守にして、寛文元年の勧請なり、千手院持」とあり、別当千手院は真言宗である。
祭神は天穂日命・武夷鳥命・大己貴命であり、現在の一間社流造りの本殿は明治一五年の再建である。
明治六年に村社となり、大正二年一〇月には同字の愛宕神社を本殿に合祀する。しかし、合祀に伴い口にするのも恐ろしい凶事が起こり、直ちに旧社に移すという。昭和三年、正式に合祀を中止している。
境内末社に御嶽神社・稲荷社があるが由緒は不詳である。ほかに明治二八年銘の不二道孝心講建立の石碑浅間宮、通称庚申様と呼ばれる文政七年銘の石碑甲子祭神がある。
*平成の大合併の為、現在の住所は違うが、敢えて文面は変えずに記載している。
「埼玉の神社」より引用
本 殿
鷲神社を氏神としていた足利氏の一族小野田家とその家士たちが祀り始めたという歴史があり、氏神の古い形である当社への信仰は厚い。終戦の混乱期も含めて現在まで、一日・一五日氏子による境内清掃が行われている。
例祭は4月15日に行われる春祭りと呼ばれる。お供えの鏡餅の上は神職に渡し、下は氏子の戸数に切り分けて護符として配られる。秋の例祭は10月15日で、春祭り同様である。この祭りの前日は宵祭りとして古くは餅を焼いたという。
本殿左手奥に祀られている 本殿右手奥に祀られている浅間宮の石碑
境内社・稲荷神社(左)、甲子祭神(右)石碑
社殿から見る境内の一風景
参道左側には社務所兼道目中集会所がある。この社務所は祭りはもちろん、各講社の集まり、村の寄り合いに用いられ、神社で決めたからという信仰が今でも生きているという。
道目地域は、上耕地・中耕地・下耕地の3区域に分かれ、鷲神社が鎮座する区域は中耕地ある。道目の各耕地に庚申講があり、12月15日には中耕地の五つの講が社務所に集まり、会食をする大庚(おおがのえ)がある。
また4月と9月の2回社務所で安産を祈願する子安講があり、十九夜様の軸を掛け、神灯を上げて祈る。職工組合による太子講が春に行われほか、榛名講・不二道孝心講・雷電講・秋葉講・赤城講・三峰講・鬼鎮講などがある。このうち不二道孝心講は、嘗て正月に銚子へ初日の出を拝みに出かけるのが恒例であったが、今は行っていないという。
参道に対して向かって右側の狛犬の奥には 社入り口の右側には「伊勢講記念碑」
力石と思える大石がある。 の石碑が設置されている。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「Wikipedia」等