古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

宝登山神社

 宝登山神社が鎮座する長瀞町は埼玉県秩父郡にある人口約8千人の町である。長瀞渓谷をはじめとする数々の観光名所を有し、「秩父の赤壁」「関東の耶馬溪」という別名を持つ。また長瀞町の総面積は30.40平方キロメートルあるが、そのうち約60%が山林で占められている。また、四方を宝登山、不動山、陣見山、大平山、釜伏山といった山々に囲まれ、これらの山を源とする沢は、それぞれ荒川に流入している。
 長瀞町は町の全域が、県立長瀞玉淀自然公園区域に指定されており、特に上長瀞から高砂橋に至る荒川の両岸は、名勝及び天然記念物保存区域として指定されている。なかでも岩石段丘、いわゆる『岩畳』の広がる長瀞渓谷は、地質の宝庫として貴重な天然資源を誇っている。
 宝登山神社は秩父神社、三峰神社とともに秩父三大神社に数えられている。その起源は日本武尊[やまとたけるのみこと] が東征の際、宝登山中で猛火に包まれた時、どこからか現れた山犬によって危機を救われたという伝説からきている。この宝登山神社は宝登山の東麓に祭られており社殿は江戸建築を伝える銅板葺き権現造りという。

所在地
   埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828
 
主祭神   神日本磐余彦尊
        
大山祗神
                
火産霊神
創  建
   
伝・景行天皇41年(111年)
社  格
   旧
県社・別表神社
例  祭       
4月 3日(例大祭)
                 5
月 2日(奥社祭)
                 8月15日(船玉祭)
主な神事
   お炊き上げ祭(毎月7日)

       
 
  標高497mの宝登山の山麓に建つ神社。日本武尊が東国平定の折に山に登る途中、山火事に囲まれ、多くの巨犬が現れて火を消したことから、山頂に神武天皇、大山祇神、火産霊神を祀ったのが始まりと伝えられている。古くは火止(ほど)山と言われていたが、後に宝登山と改称された。境内には日本武尊が身を清めたと伝えられる「玉の泉」がある。

 秩父神社、三峰神社とともに秩父三社の一つに数えられ、災難除や商売繁盛を願う参拝者で賑わう。
「宝の山に登る」という縁起のよさから、年間に100万人の参拝者が訪れるという。
 
     国道140号線の交差点にある一の大鳥居                  二の鳥居
        ちなみに神社側から撮影 
 
  二の鳥居の手前左側にある宝登山神社略記              階段手前にある趣ある手水舎

寶登山神社畧記
御祭神
 大山祇神:山を掌り山の幸を恵み給う
 神日本磐余彦尊:我が国を肇め給いし神武天皇
 火産霊神:火を掌り火の幸を恵み給う
御由緒
 第12代景行天皇の皇子日本武尊が東国地方を平定し、御凱旋の閉じ、寶登山山頂で御産柱の神をお祀り申し上げたのを以って、創始となす。
登山に先立ち、尊が心身を清めた「玉の泉」は今なお御本社玉垣内に残る。登嶺の途中、山火事に遇われた時、神使いの巨犬が火を消し止め、尊を頂上まで導いた。此の為古くは「火止山」と称し、後に「寶登山」と改称す。この巨犬は、大口真神(御眷属)で、火防盗賊除・諸難除の霊験あらたかである。
御例祭
 4月3日 献幣使参向・神楽奉奏・奉祝煙火等1年1度の最高の厳儀                                                                                                                                                              (現地案内板説明文より)

                        
                                                                神楽殿
 
この神楽殿には「神人和楽」という額が掲げられている。
 これは、「神楽」の本来の意義が神を招いてなぐさめるために舞楽を奏すことを言うことで、言い換えれば「神楽」とは神と人とが共に享楽することによって神の力を得る神事で、神座に神を招き神の力を招き鎮めることによって、生命力を高めようとするものが「神楽」であるということを表した言葉、それが「神人和楽」という言葉なのだそうだ。


                        
                                                            拝   殿
  宝登山神社は宝登山の東麓に祭られており社殿は江戸建築を伝える銅板葺き権現造りという。
  現在の本殿・幣殿・拝殿は、明治初頭に作り替えられたが、平成22年宝登山神社御鎮座千九百年記念事業の一つとして社殿改修・祈祷殿神札所新築工事が竣工 された。権現造りの社殿の欄間に施された龍などの彫刻が見もので、昨年の改修で真新しくなっておりその美しさに目を奪われてしまう。

 
特に拝殿の向拝部分は、柱や虹梁などが白に塗られ、極彩色の彫刻がに施されている。秩父三社の三峯神社を思わせる色使いである。。
 向拝の柱には5匹の龍が飾られ、正面には青龍・白龍など中国神話の四神が彫られている。拝殿側面にも中国儒教の教えにある二十四孝の彫刻が飾られている。
                         
                                                               本  殿
 宝登山神社の拝殿が極彩色の彫刻が施され、神仏習合の様式を色濃く反映していて拝殿全体が煌びやかな装いに対して、本殿は全体的に控えめながら細部に装飾を散り ばめている。拝殿を見たあとに本殿を見ると、そのギャップに少し驚きを感じるが、そこに日本人独特の美意識を感じる。

                   
                       神楽殿の隣にある水神社と隣接してある招魂社
   
     招魂社の隣にある藤谷淵神社                                      日本武尊神社
    
                      天満天神社                                天満天神社の先にある小さい橋を渡ると
                                                                                宝玉稲荷神社がある
 宝登山神社御由緒物語(パンフレットより)
  今からおよそ1900年ほど前、第12代景行天皇の御代のこと、日本武尊とその軍勢が東国地方平定の折、宝登山に登って神霊を拝したというおはなしです。日本武尊が兵を従えて宝登山の麓へと進んで行くと、森の中に岩に囲まれた清らかな泉がありましたので、尊も兵もこの泉で「みそぎ」をして、身を清めました。一隊頂上へ向かって登り始めました。が、しばらくすると辺りの様子がおかしい事に気がつきました。そのうちに黒い煙がどっと吹き寄せました。山火事ら、ご自分も剣を抜いて草をはらい、枝を切って猛火と戦いました。けれども火の勢いは強くなるばかり。一隊は火の渦に巻き込まれて脱出することが出来ません。尊の命も危うくなりました。その時、突然現れたたくさんの白い影、黒い影。影は風を切って、次々に猛火の中に飛び込んで行きます。影のように見えたのは、大きな白犬、黒犬です。犬たちは、荒れ狂う炎の中で火を消し止めようと大活躍です。そのすさまじさ、ものすごさ、火の勢いは見る見る衰えていきました。すっかり火が消えました。犬たちの見事な働きに尊も兵も我を忘れて感嘆していますと、犬たちは二頭、三頭また五頭と尊の前に集まって、静かに歩き始めました。さあどうぞ、頂上へご案内いたしましょうというように。頂上へ着くと、いつの間にか犬の姿はどこにも見えません。影のように現れた犬たちは影のように消えていました。「おお、やはりあのたちは"山の神のお使い"に違いない。本当にありがとうございました。」日本武尊は神様に対し、心より御礼を申し上げました。頂上からは悠久の天地が、広大・荘厳に眺められました。日本武尊はこの山を「火止山(ほどやま)」と名づけられ、"神をお祀りするのにふさわしい、立派なお山"とされ、「神籬(ひもろぎ)」(御神霊をお迎えするための憑り代)をお立てになり、神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)・大山祇神(おおやまづみのかみ)・火産霊神(ほむすびのかみ)の三社をお祀りになりました。これが宝登山神社の御鎮座の起源であり始まりです。その後「火止山」は霊場として栄え、弘仁年中に「宝珠の玉が光り輝きながら山上に飛翔する」という神変が起こり、山の名と神社の名はこの吉祥事により「宝登山」に改められて今に至りました。

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