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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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宮鼻八幡神社

 高坂台地は東西約9,5km、南北約8kmの狭い丘陵地である。標高は70~140mで,高坂台地と都幾川や越辺川支流の九十九川の河川によりできた低地との境には多数の湧水が湧き出ていている。都幾川南岸(東光院下の清水、高済寺下の清水)の2箇所、越辺川北岸(宮鼻の清水、寺下の清水、中形の清水、木下の清水、観音下の清水)の5箇所を総称して高坂七清水と呼ばれている。
 越辺川北岸にある5箇所の湧水の近くで、河川が造る浸食斜面及びその斜面台地上のに立地している神社が多数あり、河川及び水資源に関連した社ではなかったかと思われ、台地上に鎮座する原因や、その社会的な機能があったのではないかと考えられる。
 現代社会は河川改修や地盤の改良の技術が飛躍的に進み、また経済成長という時代背景によって、多くの台地も一面住宅地化され、道路も舗装化された。それ故に多くの台地の地理的な特徴を無視した開発は、河川の氾濫や土砂災害などの増加を招いたと考えられる。
 その意味において、高坂台地に限らず、多くの河川浸食斜面上に鎮座する社の歴史的な意味を明らかにすることは、とりもなおさず、現代に生きる我々が抱えた自然災害等を未然に防ぐ何かしらの啓示となるのではないだろうか。
所在地    埼玉県東松山市宮鼻216
御祭神    応神天皇(推定)
社  挌    旧村社
例  祭    4月第1日曜日 春祈祷 獅子舞  11月 3日 秋の大祭 
           

        
 宮鼻八幡神社は国道407号を高坂神社交差点の南側二つ先の宮鼻交差点を左折し、南側約300m位の越辺川支流九十九川北岸の段丘上に鎮座している。南側は九十九川が東西に流れ、段丘の丘から眺めるその風景はなかなか雄大であり、豊かな土壌であったと同時に河川の氾濫等、水害の被害もさぞや多かったのだろうと勝手に思ったりしてしまった。
 ちなみに駐車スペースはなかったので、路駐し、急ぎ参拝をおこなった。
           
           
                           宮鼻八幡神社正面
 言い伝えによると創建は清和天皇の貞観年間(859年~877年)と言われている由緒ある古社。昔は宮鼻村の鎮守八幡社だったが、現在の八幡社に改称している。

              拝    殿                          本    殿

 社殿の右側手前には天満天神社、日枝神社、それに何故か大狼の神である大口真神(写真左)が鎮座し、社殿左側には稲荷神社(同右)が鎮座する。大口真神がこの地に祀られていること自体正直驚きだ。
           
                     八幡神社の境内に大きく聳える大欅。
            この御神木を見るために今日この地に来たといってもいいくらいだ。
           
市指定文化財 天然記念物  
八幡神社の大ケヤキ(昭和三十七年三月二十六日指定)
 県の木として親しまれてきたケヤキ(昭和四十五年「県の木」に選定)は、ニレ科の落葉高木で、本州・四国・九州に広く分布しています。
 ケヤキとは、「けやけき木」で、「際立って他の木より目立つ木」の意味があり、空を突く美しい堂々とした樹形や巨大な幹は遠くからもその優雅な姿から他の樹木と見分けることができます。
県内では東部の低地からから秩父山地にかけて分布し、台地から低地に移る傾斜地や山間の肥沃地に生育しています。越辺川沿いの低地に接する高坂台地南部の傾斜地には今でもケヤキだけでなく、ムグ、エノキなどの同じニレ科の大木が多く見られ、昔から川岸の斜面林として発達してきました。
 またケヤキは農具や家具の建築材として優れていることから、江戸幕府が農民に植栽することを推し進めてきたことなども、農家の屋敷林や寺社林として多くみられる所以となっています。
 この宮鼻の八幡神社にあるケヤキは根回り八、〇m程もあることから、樹齢は約七〇〇年と推定されます。八幡神社の御神木とされてきたこのケヤキは、古くから地域の人の心の拠り所であり、農作業の合間の涼をとる憩いの場所として親しまれてきました。長い年月の間に幾多の台風などにより、主幹部は空洞化していますが、根元の太さはその長い歴史を物語っています。
                                                             案内板より引用
                 

 迫力ある雄々しい姿である。主幹部は空洞化し、ステンレス製の帯で幹が解体しないようにか巻かれていて、何となく痛々しいが、紅葉の季節でもその葉は主幹部の周りの枝に大量に生え、生命力の大きさを感じさせてくれる。まさに御神木。その存在感は圧巻でもある。

 また宮鼻八幡神社には獅子舞も市指定無形民俗文化財に指定されている。
           
宮鼻の獅子舞 
 昭和五十五年一月十日 市指定無形民俗文化財
 宮鼻の獅子舞は、四月一日(現在は四月の第一日曜日)の春祈祷に、鎮守八幡神社に奉納されます。引き続き、悪病除けに部落内を行列して歩く「廻り獅子」が行われます。
 行列は猿田彦之命(宮鼻では「おクニさん」と呼んでいる)が道案内役として、先頭に立ち、笛太鼓がそのあとに続きます。十月十七日(現在は十一月三日)の秋の大祭は風雨従順、五穀成就、氏子快楽を祈願するもので、八幡神社で獅子舞を奉納したあと香林寺でも獅子舞が奉納されます。このときには、万灯が行列の先頭に立ちます。
 この獅子舞は、昔、風水害にばかり合い、村人たちが悲惨な毎日を送っていたので、獅子舞を神社に奉納することになったのが始まりと言われています。
 宮鼻の獅子舞は、一人立ちの三匹獅子舞で、女獅子・中獅子・宝丸獅子・簓子(ささら)、笛吹き(笛方)、歌うたい(歌方)、ぐんばい(囃子)、万灯持ち(花車持)、世話役(世話掛)で構成されています。その他の役人として、竹の三尺棒(昔は刀をさしていた)を持った七人の警固がいます。
 獅子頭は、現在六基ありますが、そのうち三基は、創始当時の木彫りの重箱獅子で、約百八十年前の文化二年(江戸末期)のものと伝えられています。
                                                             案内板より引用

 八幡神社が鎮座する「宮鼻」という地名は、どのような語源なのだろうか。調べてみると本来は海岸線の海に突き出した地形を「はな」と言い「端」や「鼻」の字をあてたらしい。また陸地でも平野部に突き出した高台の尾根の端あたりの地がそれにあたる。

 偶然の発見だが、さいたま市大宮区に鎮座する大宮氷川神社の所在地の大字も「高鼻」だ。この高鼻地区もすぐ東側には江戸時代までは見沼(御沼、神沼とも呼ばれたらしい)がY字型3方向に湾曲して伸びていて、岬や入江も多い複雑な地形を形成していた。高鼻地区はその西側の高台の突き出た端部分に当っているという。

 何気なく使用している地名にも奥深い由緒、由来があるものだと改めて感じた次第だ。
      
                                    

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