古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

北根久伊豆神社

 埼玉県の元荒川流域を中心に分布する久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)は面白い社である。御祭神は大己貴命でありながら、同じ系統の氷川神社(御祭神・須佐之男命、稲田姫命、大己貴命)と同化ないしは合流もせず、元荒川左岸という至って限定された地域に根を張って独立を保ち、今尚地域住民の方々の崇拝を受けていることは不思議としか言いようがない。
 元より現在の元荒川は江戸時代に時の権力者から「荒川の西遷」と云われる公共的な土木事業により入間川と合わせられ、河川としての本来の姿からは程遠い姿となっているが、元荒川こそ荒川本来の流路であった。近代以前土木技術も発達していなかった時代にあり、元荒川は埼玉県東部の低地帯を縦横無尽に流路を変遷させた。地域住民の方々にとって元荒川は「豊富な栄養を含んだ恵みの河川」であると同時に一旦水害が発生すると「荒川」の名の如く全ての耕作物を飲み込む恐ろしい川でもあった事だろう。
 久伊豆神社も元荒川左岸に分布していると云われているが、河川の流路は簡単に変わるものだ。人々の長年の経験値から導き出された自然堤防等の僅かな高台に鎮座することにより、恐ろしい災害から難を逃れると同時に、地域住民の避難場所と穀物の蓄え等の確保の役割も備えた施設でもあったと思われる。
 創立起源として平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致しているというが、社の起源は鎌倉時代よりも遙かに古いので、野与党・私市党は自らの守護神として社の権威を高め、また同時に社の勢力範囲を広げたのであろう。
 埼玉郡北根村(旧川里町)は、賜蘆文庫に「享徳十五年閏二月九日、武州崎西郡北根原合戦」と見え、古くからあった地名であり、この地域にも久伊豆神社は鎮座している。
               
               
・所在地 埼玉県鴻巣市北根1282
               
・ご祭神 大己貴命
               
・社 格 旧北根村鎮守 旧村社
               
・例 祭 例大祭 1024
    地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1146548,139.5187888,18z?hl=ja&entry=ttu
 鴻巣市北根地域は赤城神社が鎮座する赤城地域の南東部に接している。川里赤城神社からは直線距離で南東方向500m程の場所で、道路沿いに鎮座している。正直細かい農道等を説明する必要がある為、あえて簡潔に説明する。社の東側には野通川が南北に流れ、「みょうじんばし」と書かれた橋を越え、左右に見える変電所、野球グランドを過ぎると、一面の田園地帯で長閑な風景が広がる。
 この地域は南北に流れる野通川を境にして、社が鎮座する西側には民家が集中して立ち並び、東側は田畑を主に行う穀倉地帯に分けられているようだ。但し西側もグーグルマップ等地図を見ると民家が立ち並んでいるような感じだが、ビニールハウスもかなりの数が表示されているので、かなり差し引かねばなるまい。
 北根久伊豆神社の正面鳥居手前にはかなり余裕ある駐車スペースも確保されており、撮影等に影響のない場所に停めてから参拝を行う。
               
                               
北根久伊豆神社 鳥居正面
          鳥居手前にある桜は丁度今が満開、見ごろであった。
 鴻巣市の市域はほとんどが旧北足立郡だが、旧笠原村地域だけは北埼玉郡に属していた。
北足立郡と北埼玉郡の郡界は元荒川で、左岸に位置する笠原村は北埼玉郡だったため「新編武蔵風土記稿」を調べる時も、その郡域境にあるこの地を確認するのに時間がかかったことを思い出す。
               
                               南側に向いている鳥居
 意外と広い社。鳥居の左側には「富士塚」があり、塚上に登る入口付近には歴史を感じさせる石碑等も見える。参道も適度な奥行きを感じさせ、境内を覆う社叢林が社全体の荘厳さを漂わせた
また境内全体手入れが行き届いていて、社に隣接している「北根会館」も新しい建物であったので心地良く参拝に望めることができた。
 
 鳥居のすぐ左手には石碑、記念碑等が設置。  「富士塚」の登り口には青面金剛像があり、
                      頂上には木花佐久夜姫命と記された石碑がある。
               
                                     落ち着いた境内
 荒川の流域には多くの神社が点在しており、氷川神社や、雷電神社、大杉神社、琴平神社といった神社がある。中でも氷川神社は東京都、埼玉県の荒川流域、特に元荒川と多摩川の間に多く分布している。また、利根川流域、古利根川流域には香取神社が分布している。
 船を扱う人々が信仰した神社で、千葉県佐倉市の香取神宮を本社とし、埼玉県に119社、茨城県に214社、千葉県に71社、東京都に15社分布している。この分布の西の限界が元荒川であり、氷川神社と香取神社の境界をなす元荒川筋には「久伊豆神社」が分布している。その本社は不明ながら、嘗て「久伊豆明神」と称していた騎西町騎西の「玉敷神社」と目されている。また、これは元荒川の左岸側が久伊豆神社、右岸側が氷川神社という河川を境として分布がハッキリと区分けされていて興味深い。
 古代は各河川の区切りによって文化圏が異なり、神社も地域的に纏まって分布していたと推測されている。
               
                                      拝 殿
「埼玉の神社」によれば、『新編武蔵風土記稿 北根村条』の項には村内の鎮守として久伊豆社、他に五社権現(九頭竜社・白山社・氷川社・飛竜社・熊野社)を載せ、共に曹洞宗赤城山清法寺を別当としていたことが記載されている。明治時代に内務省および庁府県に備え付けられていた神社の台帳である『神社明細帳』によると主祭神は大己貴命で、創立は明らかでないが、天保四年社殿を再建し、慶応元年に焼失したため、明治四年新たに社殿を建設して、同五年に村社となっている。明治四三年、村内にあった五社権現社、弁天社二社が境内社として合祀された。
 
        拝殿に掲げてある扁額               本 殿
 境内には、拝殿の左側に境内社である五社大権現、弁財天社の石祠、天満宮があり、右にも弁財天社の石祠がある他、神武天皇、少彦名命・倉稲魂命を祀る祠が鎮座している。
               
                       拝殿の左側に鎮座する境内社・
五社大権現
 
        
弁財天社の石祠                              天満宮
 
    拝殿の右側に鎮座する境内社       合祀社の右隣には弁財天社の石祠あり。
 神武天皇、少彦名命・倉稲魂命を祀る合祀社か。



参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」等

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