古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

江綱元巣神社

 ナキサワメとは日本神話に登場する天津神系統の女神で、泣沢女神や啼沢女命と呼ばれ、哭沢女命とも表記される。
『古事記』国産み・神産みの段においてイザナギ(伊邪那岐)イザナミ(伊邪那美)との間に日本国土を形づくる数多の子を儲ける。その途中、イザナミが火の神であるカグツチ(迦具土神)を産むと陰部に火傷を負って亡くなる。「愛しい私の妻を、ただ一人の子に代えようとは思いもしなかった」とイザナギが云って、イザナミの枕元に腹這いになって泣き悲しんだ時、その涙から成り出でた神は、香具山の麓の丘の上、木の下におられる。この神がナキサワメである。
 神名は「泣くように響き渡る沢」から来ているという説がある。また、「ナキ」は「泣き」で、「サワ」は沢山泣くという意味がある。「メ」とあるので女神であるという。

 太古の日本には、巫女が涙を流し死者を弔う儀式が存在し、そのような巫女の事を泣き女という。この儀式は死者を弔うだけではなく魂振りの呪術でもあった。泣き女は神と人間との間を繋ぐ巫女だった。ナキサワメは泣き女の役割が神格化したものとも言われており、出産、延命長寿など生命の再生に関わる古代より信仰を集めていた。また、雨は天地の涙とする説があり降雨の神様としても知られている。
               
             
・所在地 埼玉県比企郡吉見町江綱1501
             
・ご祭神 啼沢女命
             
・社 格 旧村社
             
・例 祭 祈年祭 49日 例祭 419日 新嘗祭 1127
                  
冬至祭(星祭)1223

 江綱元巣神社が鎮座する江綱(えつな)地域は、市野川左岸に位置し、集落は主に自然堤防上に形成されている。江綱の地名は、河川にかかわると考えられ、また元巣も、鎮座地が元は洲であったことに由来する。文化十六年(1819年)6月の『武蔵国横見郡江綱村墨引兼絵図』には、市野川左岸に「元巣社」が記されている。
               
                                   江綱元巣神社正面
            
            「供進社 江綱神社」と表記されている社号標柱

 下細谷天神社から一旦東方向に進み、埼玉県道345号小八林久保田青鳥線に交わる十字路を右折し、県道を吉見町役場等の市街地を通り過ぎるように2㎞程南下する。その後コンビニエンスストアのある「江綱」交差点を左折し、埼玉県道33号穂が市松山桶川線に合流後東方向に進む。750m程進むと道路正面右側に「元巣神社」の看板が見えるので、そこを右折するとすぐ右側に社の社叢林が見えてくる。
 残念ながら周辺には社務所や集会所等もなく、駐車スペースはない。車両の邪魔にならない場所に路駐してから急ぎ参拝を開始する。
                       
                               神明系の
江綱元巣神社鳥居

 江綱元巣神社は水を司る啼沢女命を祭神としている。社伝によれば、大和国の畝傍山の麓に鎮座する畝尾都多本神社の分霊を勧請したと伝える。畝尾都多本神社の祭神は、伊弉諾命の涙から生じた啼澤女命で、「哭澤の杜」に祀られる古社であり、延喜式内社である。この神を祀る社は、関東では当社のみであることから「関東一社」の別名がある。恐らく、涙が水沢のごとく流れるの意から沢とかかわり、またサワメが雨にも通じる語であるので、いずれにしても水を司る神として祀られたことは明らかである。ちなみに、氏子は当社を「命綱の神」とか「命乞いの神」と呼んでいる。
               
          参道右側には手水舎がある。柱には凝った彫刻が施されている。
               
                                      拝 殿
 
 拝殿正面上部には扁額や奉納額(写真左)、その左側には新しい扁額(同右)が掲げられている。
               
 また江綱元巣神社の拝殿向拝部、兎ノ毛通し・唐破風下・中備には種々の立派な彫り物が飾られている。
 
       木鼻の獅子(写真左・右)もなかなか凝った彫刻を施している。

 裏側には彫師の銘があり、「武州 熊谷町 彫刻師 飯田祐次郎」と表記されている。この飯田家は大麻生河原明戸の生んだ宮大工にして彫刻師で、久能山東照宮の五重塔改修の折に、名工としての名を馳せ、「和泉守」を拝命したことから、代々宮大工棟梁としてその名を継いでおり、江戸時代後期から明治時代までに各地に多くの作品を残している。
 飯田家の一族には建築だけでなく彫刻にも優れた人材も輩出しており、残された作者名からは「飯田岩次郎」「飯田仙之助」「飯田常吉」「飯田竹三郎」「飯田元三郎」「飯田勇次郎」飯田岩吉」「飯田岩五郎」等の名がみえる。
 さて江綱元巣神社に表記されている「飯田祐次郎」とは「飯田勇次郎」その人であろうか。
               
                          拝殿付近に設置されている案内板

 元巣神社略記
・鎮座地 埼玉県比企郡吉見町大字江綱一五〇一番
・御祭神 啼沢女命
・由緒
 元巣神社はその昔、大和国畝尾啼沢の社より女神啼沢女命を御霊星御奉斎いたしました。
関東地方では、只一社の御社でありますので関東一社とも称せられて、古くから上下の信仰が極めて厚い神社であります。
 御奈良天皇の御代天文元年藤原重清がこの地方に下向いたしましたが、当時庶民が水難に遭い、病に苦しむ状をあわれみ、病気平癒と五穀豊穣の祈請したと謂われ、また源頼朝は特に元巣神社尊信し、大串次郎重親を使として厄難消除道中安全祈願祭を数度に亘り斎行したところ、神徳の顕現により種々の危難を脱れたと伝えられております。
 爾来、元巣神社の御社名いよいよ高く、諸民の尊崇を受けて社殿の造営、祭事の厳修等御社運は隆盛をきわめ寛永七年八月二十七日宗源宣旨を以って正一位を授けられた御神威の輝かしい神社であります。
・御神徳
 元巣神社には伊邪那岐神の別御霊を併せ祀ってありますので、命乞神、命奴志神、命比売神、玉緒神、命綱神とも称えられ御社名のように「元の巣に帰る」という古くからの信仰により、交通安全守護神として関東一円にその名を知られており、又、病難徐、家運隆昌守護の神としてその御神徳は広大無辺であります。(以下略)
                                      案内板より引用

 
          本 殿              社殿左側に鎮座する境内社・三峯社
               
                    社殿左側に鎮座する境内社・稲荷社 天神社合祀社。
               
          稲荷社 天神社合祀社の左側に並列鎮座する境内社・浅間社。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「くまがやねっと情報局」「Wikipedia」等


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