古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

吉原宮原神社

 日本では古来、海の彼方からやって来くる神を「来訪神」と呼び、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承が異相の釣魚翁であるエビス(夷/恵比寿など)と結びついた。
 日本神話では、イザナキ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との契りにおいて、最初に生んだ水蛭子神(ヒルコノカミ、水蛭子、蛭子神、蛭子命)は、身体には骨がなかったので、葦の船に乗せて流されてしまれ、オノゴロ島から流されてしまう。
 この「ヒルコ」と「エビス」が後代混同につながったとされ、また太陽神の巫女である「大日霊貴(おおひるめのむち)」に対する語、つまりヒルメに対するヒルコは「日る子(太陽の子)」であり、尊い「日の御子」であり、太陽神と関わり深い神故に流された、とする貴種流離譚に基づく解釈もあり、こちらでは日の御子を守り仕えたのがエビスであるとするという。
        
              
・所在地 埼玉県比企郡川島町吉原401
              
・ご祭神 蛭子命(恵比須神)(推定)
              
・社 格 旧村社
              
・例祭等 例祭 415

   地図 https://www.google.co.jp/maps/@35.9781383,139.492252,17z?hl=ja&entry=ttu
 牛ヶ谷戸諏訪社を起点に埼玉県道12号川越栗橋線を1㎞程南下し、「表」交差点を右折する。埼玉県道339号平沼中老袋線、通称「かわしま中央通り」に合流後、650m程進むと右側に吉原宮原神社の社叢林、及び道路に面した中央付近に鳥居が見えてくる
        
               県道沿いに鎮座する吉原宮原神社
        
            
鳥居には「宮原神社」と記された社号額あり
   
社号額の神紋は「丸に蔓柏」。「えびす宮総本社」である西宮神社も同じ神紋である。
 兵庫県西宮市社家町にある西宮神社は、全国に約3,500社あるえびす神社の総本社(名称「えびす宮総本社」)である。
 創建時期は不明だが社伝によると、伊弉諾岐命と伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である蛭児命は、不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数にも数えられなかった。和田岬の沖に出現した蛭児命の御神像を鳴尾の漁師が引き上げて自宅で祀っていたところ御神託が降り、それによってそこから西の方に御神像を遷して改めて祀ったのが当社の起源だという。
 その後、境内の北隣に居住していた「神人」として人形繰りの芸能集団「傀儡師」が、全国を巡回し、えびす神の人形繰りを行って神徳を説いたことにより、えびす信仰が全国に広まった。境内に祀られる百太夫神は傀儡師の神である。中世に商業機構が発展すると、海・漁業の神としてだけでなく、商売の神としても信仰されるようになったという。
        
                   参道からの風景
     県道沿いに鎮座しているにも関わらず、境内参道の両側には豊かな樹木が覆い、
                静かな空間が辺りを包みこむ。
       
              境内に聳え立つご神木(写真左・右)
        
                     拝 殿
 水蛭子神(ヒルコノカミ、水蛭子、蛭子神、蛭子命)は、日本神話に登場する神である。『古事記』において国産みの際、イザナキ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)が天御柱(あめのみはしら)を立て、八尋殿(やひろどの)で新婚生活を始めたときに最初に生んだ神と記されている。しかし、水蛭子(ヒルコ)の身体には骨がなかったので、葦の船に乗せて流されてしまれ、オノゴロ島から流されてしまう。『日本書紀』では「蛭児」と表記される。一書には複数回現れ、イザナギ・イザナミが生んだ最初または2番目の神として『古事記』に似たものもあるが、本文では三貴子(みはしらのうずのみこ)のうちアマテラスとツクヨミの後、スサノオの前に生まれ、「三歳になっても立つことができなかったので、天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)に乗せて風のまにまに放ち棄てた」と書かれている。
 始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。
 この流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって夷三郎殿として西宮に現れた(西宮大明神)、と記している。日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多い。
        
                拝殿に掲げてある由来書き
 由緒略記(通称 にしの宮)
 所在地 川島町大字吉原字宮附四〇一番地
 この神域(五一六坪)は後方の旧吉野川曲流の沖積地として前方に周囲三キロの環状自然堤防中樂に囲まれた円田(円形水田)が開け、その北後中央にまつる。
 この円田の位置は関東平野のほぼ中程にあり、極めて奇異珍域なり円は古来ご祭神夷の大神の霊験福徳円満に等しく、本社は平安時代後期、保元・平治(一一五六五九)の創建(八四〇年前)以来、吉原観音寺住職別当、古くは西宮太神社と称し特に近世江戸商人の崇敬篤く多数の奉造品を有す。
                                      案内板より引用

 ヒルコとエビス(恵比寿・戎)を同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、それ以前に遡るような古伝承ではないが、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。現在、ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで祀られているが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代主とするところも多い。
 
 拝殿手前左手に鎮座する境内社・三保谷神社        三保谷神社 本殿
        
               社殿の左側並びに鎮座する境内社。
       向拝部周辺の彫刻が精巧で凝っているにも関わらず、詳細等は不明。
        
                 拝殿から参道方向を撮影

「埼玉の神社」にも説明されているが、東日本各地への西宮神社の恵比須信仰の本格的な伝播は、恵比須像の神札を配札するようになるのは江戸時代前期の寛文年間(一六六一-七三)以降のことであり、この社の創建は直接的に「恵比須信仰」の影響を受ける以前の古い時期に祀れていたようである。
またこの社の創建に関して、何故「八幡神社」や「稲荷神社」「天神社」等、幾多の有名な社がある中で、わざわざ遠く摂津国にある「西宮神社」を選定し、「蛭子命(恵比須神)」をご祭神として勧請したのかは明らかではない。
 解明できない謎が多き社であるが、いずれにしても「とある一族・集団」が「しっかりとした信念と目的」を以ってこの社を勧請・創建し、この地域住民はこの社・神様を受け入れて、祭礼を現在に至るまで行っていることは確かである。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」「境内案内板」等

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