古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

白石西大澤神社

 美里町史による西大沢神社の由緒では「大字白石にあり、素盞嗚尊ほか8柱を祭る。創建は不詳であるが、鎌倉時代に猪俣小平太範綱が武運長久を祈願し霊験を得たといわれている。古の本地仏(神の本地である仏)千手観音は、空海の作であるということが正徳6年(1716)丙申閏2月の古文書に書かれているといわれるが、その文書が何であるか不明である。古くは牛頭天皇といったが、明治5年(1872)に八坂神社と改称、明治42年(1909)合社により西大沢神社となった」との記載がある。
 猪俣小平太範綱は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将、御家人。猪俣党宗家の家筋で、武蔵国猪俣(現、荒川上流域の埼玉県児玉郡美里町)を本拠に活躍した武士である。『保元物語』に同族猪俣党の岡部六弥太忠隆、酒匂三郎とともに源義朝に従ったとあり、また「平治の乱」でも源義平十七騎の中に名が見える。源義平は源義朝の長男、通称「悪源太」。この17騎とは鎌田政清・後藤実基・佐々木秀義・三浦義澄・首藤俊通・斎藤実盛・岡部忠澄・猪俣範綱・熊谷直実・波多野延景・平山季重・金子家忠・足立遠元・上総広常・関時員・片切景重の坂東武者17騎の雄将として知られている。源頼朝挙兵後は頼朝に仕え、一の谷合戦で平家の勇将盛俊を討つなど、戦場においてしばしば功績をあげている。
        
             ・所在地 埼玉県児玉郡美里町白石353
             ・ご祭神 素盞嗚尊 
             (合祀神)武甕槌命 斎主命 天児屋根命 
比売神 羽黒神
             ・社 格 旧指定村社
             ・例 祭 春祭り 415日 例祭 旧暦61日 新嘗祭 1210
                  冬至祭 12月22日 
   地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1629159,139.165959,17z?hl=ja&entry=ttu
 
白石西大澤神社は国道254号を児玉町方向に進む。「駒衣」交差点を左折し、1㎞程進み、埼玉県道349号広木折原線に合流する手前の十字路を左折すると白石西大澤神社の社叢が見えてくる。南側には東西に流れる天神川が流れ、松久丘陵の麓付近とはいえ緩やかに坂のある地域に鎮座していている。
 南向きの社殿で広い境内、鳥居の南側には公園もあり、その公園に通じる場所には駐車スペースもあり、そこに停めて参拝を行った。 
        
               西大澤神社社号標から社殿の様子
 
     上部の島木・笠木が長く感じる鳥居        鳥居の先で、左側にある案内板

西大澤神社 鎮座地 美里町白石三五三
 御縁起(歴史)白石は松久丘陵に位置する山間の村で、天神川に沿った地域に集落と耕地がある。当社は天神川沿いに鍍座する。『児玉郡誌』には「当社は往昔は牛頭天王と称せしが、明治五年に八坂神社と改称して地方の者深く崇敬せり、創立年代は詳ならざれども、祭神武徳の大社たるを以て、近地猪俣の住人猪俣小平六範綱が、武運長久の祈願を籠めて霊験を得たりと云伝ふ、往時の本地仏千手観音に名僧○〇の作なりと云ふこと正徳年間(一七一一~一六)の古文書に在り、又社殿は享保三年(一七一八)に改造したる時の棟札今に現存せり」とある。本地仏の記述から別当の存在をうかがわせるが、『風土記稿』に当社は村民持の「天王社」として見え、別当についての記載はない。
ただし、天神川を隔ててすぐ南側には明応年間(一四九二~一五〇一)ごろより榛沢郡のうち十ヵ村の年行事職を務めたとされる本山派修験宝積坊跡(上田栄治家)、また東側にはこの宝積坊配下の智積院跡(小林桂之輔家)がそれぞれあり、両坊が当社の祭祀に関与したことは想像に難くない。明治四十二年には、旧湯本村の春日神社(中居明神社)、大仏村の羽黒権現社、円良田村の山王神社を当社に合祀し酉大沢神社とした。
その社名は、当社が往古大沢郷と称した地域の西部に鋲座していたことにちなむものである。
                                                                             案内板より引用
        

                     まるで石垣を思わせるような石組で構成されている。
        
                     
拝 殿
        
                     本殿覆屋
 
          
社殿奥に鎮座する境内社(写真左・右)。詳しい所は不明。
         
これだけの立派な境内社に説明等全くないのは残念
           
           
境内にある御神木(写真左・右) 暖かい時期に再度見てみたいものだ。
          
                   
境内隅にある神楽殿


 猪俣小平六範綱の墓(県旧跡)は大字猪俣の高野山真言宗高台院内にある。この高台院(本尊十一面観音像)は町の南東部、猪俣集落から少し上ったところにある猪俣氏の菩提寺で、猪俣氏が創建したとされているが、古記録等すべて失っているので、その時期などについては不明である。                  

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